知的障害(ちてきしょうがい)とは、一般的には金銭管理、読み書き計算など、日常生活や学校生活の上で頭脳を使う知的行動に支障があることを指す。
精神遅滞(せいしんちたい、英:mental retardation)とほぼ同義語である。日本では1950年代から学校教育法では、精神薄弱という表現が50年近くそのままに放置されていたため、1994年頃から数年間メディア一般では、精神薄弱を「精神遅滞」という表現に一斉に変更して使用していた時期がある。2000年に法改正があって、「知的障害」に変わったため、精神遅滞は一般には使われなくなった。「精神」の所在が明示できないため、「精神遅滞」ではすべての資質、能力が遅れているのか、という印象を与えるためである。ただし、アメリカ合衆国などでは、こうした障害は「精神遅滞」と呼ばれているのが常で、この分野の国際学会も、「mental retardation」という表現を用いている。この場合の「mental」は、かならずしも「精神」という意味ではない。
障害者、特に視覚障害者はどの時代や国、地域にも広く存在するマイノリティである。そのため視覚障害者の生活は時代や国により大きな制約を受ける。厚生労働省が5年に1回実施する身体障害児・者等実態調査の最新の結果(平成13年)[1]によると、国内の18歳以上の視覚障害者と18歳未満の視覚障害児の合計は305800人である。身体障害者数に占める割合は1割程度となっている。
日本では、徐々に各種資格の欠格事項が撤廃され、全盲の医師が誕生するなどしている。
視覚障害の原因で、最も多いのは糖尿病である。次いで、緑内障などが続く。交通事故や労働災害などの事故もその原因となる。出生時の損傷による視覚障害は比較的少ない。 また、緑内障、白内障などの各種眼疾患の他にも、脳腫瘍のような脳疾患、糖尿病やベーチェット病のような全身性疾患でも視覚異常を伴う場合がある。
夜盲症(鳥目)や色覚異常、視野狭窄も広義の視覚障害である。ただし色覚異常や夜盲症は身体障害者福祉法における視覚障害の定義には含まれない。
明治維新までの日本では、当道座、盲僧座など、視覚障害者による自治的組織がいくつかあった。中でも当道座では検校や勾当、座頭などの官位が与えられ、音楽家や鍼灸按摩を専業としていた。一般に彼らの社会的地位は高く、当道座の最高職である「総検校」は十万石の大名に匹敵する地位と格式を有していた。
聴覚障害者(ちょうかくしょうがいしゃ)とは、耳が聞こえない人、または聴覚に障害をもつ人のことである。
この聴覚障害者にはろう者(聾者)、軽度難聴から高度難聴などの難聴者、成長してから聴覚を失った中途失聴者が含まれる。
日本では聴覚障害者として身体障害者手帳を交付されている人は約36万人。しかし実態は、聴力が衰えた高齢者や「話すのにやや不便を感じる」というレベルのものまで含めると、約600万人いると言われる。
聴覚障害は、情報障害・コミュニケーション障害といったとらえ方をすることもある。『障害』という言葉は「さしさわり」「害」という意味を持つ言葉であるため呼称を変更するよう提案する立場がある。この立場を支持する人々の間では「聴覚障がい」と表記される。もちろん「言葉狩り」の批判も存在する。また、元々の表記である「障碍」を使う場合もある。
肢体不自由児は、学校教育法で障害をもった子供の分類のひとつとして挙げられているものである。健常児と一緒に授業を受けるのに困難があるほどの肢体不自由児は、特にそうした問題をもつ子供のためだけの養護学校が設置されている。しかし、単に四肢のいずれかに機能の不全がある程度の子供は、考えたり、覚えたり、またそれを表現する能力に問題がなければ、普通クラスに入って、一緒に学んでいるのが通例。肢体不自由児のための養護学校に通う子どもたちは、かなりの子供が重度の肢体不自由児と呼ばれるような子供か、普通クラスなどで本人にとって充分な教育が受けられず養護学校に転校した子供である。
精神疾患(せいしんしっかん)とは、脳(および「心」)の機能的・器質的障害によって引き起こされる疾患をいう。統合失調症や躁うつ病といった重度のものから、神経症(この用語は正式な疾患名としては用いられなくなりつつある)、パニック障害、適応障害といった中、軽度のものまでの様々な疾患を含む。また、精神の変調が髄膜炎、内分泌疾患などの身体疾患によって引き起こされる場合もある。いわゆる広義の精神疾患については「概要」を参照のこと。
精神疾患の治療を担当するのは主に精神科・神経科であるが、患者の症状や状況によっては内科(心療内科が多い)など、他の科で診察、治療が行われている場合もある。